わたしの生徒たちへ折々の文書

1971年9月26日、兵庫県の工業高校へ数学の臨時時間講師として勤務。
13年半後、西宮の高校へ転勤、
13年後、尼崎の高校へ転勤、現在に至っています。定年まで6年3ヶ月。
その折々、生徒たちに多くのことを教えられました。
そのことの返しとして発信したいくつかの文書を掲載します。
困難な時代の教育を担う若い先生方への参考になれば幸いです。
教え子のみなさんへ、「わたし元気ですよ。」の発信です。
                                  (1999.1.15)


2007年1月、定年退職して2年が過ぎようとしています。
積み重ねていた文書を整理しておりました。
授業記録、進路実践、生徒達の文章など皆さんの文章を読んでいました。
セピア色の紙ですが、もういちどしまってなおしました。
アルカイックホールでの「奄美・沖縄のつどい」の当日の次第もありました。
みなさん、お元気でしょうか。                 (2007.1.1)



寄り添うことからはじめませんか 同和教育33年間を振り返って 2004.12.31NEW

 2004年8月、33年間の教師生活のまとめを書きました。1週間ほどかかって、1行1行「つむぐ」ようにして文章を重ねました。生徒、親、同僚、仲間、家族、親、兄弟への感謝をこめまして。
戦時短歌について 1989.2.25

 南高12回生を送り出すとき、最後に書き送った学校新聞卒業記念号への原稿です。このころずっと、戦地詠のことが気になっていました。

ようやくめぐりあった1枚のCDレコード 1996.2.28

 1996年2月28日、卒業式の日に配布される学校新聞に掲載したものです。わたしが3年間担当した南高19回生へ書き送ったものです。
 「清河(チョンファ)への道」 唄 新井英一さん について一気に書き上げたものです。

NY大惨事 9/11以降のこと 2001.9.11〜2002.2.27

 2001年9月11日に起こったNY大惨事は、教室でどう生徒に語りかけるのかを、わたしたち大人に突きつけられた大変なできごとでした。
 その折りの学年仲間に読んでもらった文章と、卒業式最終号に配った「学年だより」を掲載します。
 わたしの教え子たちにとどきますように。



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