9/11以降のこと
学年会資料

3学年会通信 2001.9.17

NY大惨事


 真夜中にニュースを見てとても気になっていました。

 1回だけですがニュースで「消防隊員が200名行方不明になっている」と報道されたことです。
 燃えさかっている階の上には大勢の市民がいます。間違いなく多くの消防隊員が彼らを救助しようとそのさなかにいたはずです。
 次の次の日、「300名」の新聞報道がありました。ニューヨーク市の消防隊が全滅したに等しいのではと思います。

 80階からビル崩壊までに駆け下りてかろうじて助かった市民が、「幾人もの救助隊員とすれちがった」とインタビューに答えていました。救助に上がっていった隊員は崩れ落ちるビルとともにあったでしょう。同僚たちの必死の救助作業が続いているとニュースで伝えています。

 なんと言うことだろうと思います。

 今朝の新聞で「折り重なった子供たちの遺体」と出ていました。
 貿易センターでは数万人が働いていて、そのための託児所がビルの随所にあったというのです。

 21世紀がこの事件で幕開けをしました。
 若者に引き継いで行くべき社会がこのようなかたちで続いています。

 ただこのことはすでに日本でも起こっていました。
 地下鉄サリン事件での無差別殺人、若夫婦による幼なごの運河への死体遺棄、新宿での雑居ビル焼死事件、何十階という高層ビルのもろさは、阪神大震災で実証済みです。

 こうした21世紀を担うのが、今教えている生徒たちです。
 わたしたちの学校はどうあるべきなのでしょうか。
 若者に何を伝え、何を教えるというのでしょうか。
 もういちど深く考えさせられています。

 わたしは4年前転勤してきたとき、年齢から着任教師の代表として挨拶しました。そのとき述べました「生徒の役に立つことならなんでもします。」ということをもう一度思い直しています。




3学年会通信  2001.9.25

NY大惨事2


 NY大惨事のあと、生徒たちへもうひとつ話していたことがあります。

 「もし君が軍人でホワイトハウスの上空警備の任務についていた戦闘機のパイロットだったら、もし、むこうから民間航空機がつっこんでくるように判断したとき、あなたは撃墜の機関砲ボタンを押せますか。もし押さなければ、ホワイトハウスは貿易センタービルのようになるでしょうし、もし押せば、君の手で、襲撃者だけでなく、旅客機に乗っている何百人の命を奪うのですし、撃墜した機体の破片とジェット燃料の爆発でその下にいる大勢のNY市民が死ぬことになります。それでも軍人はそれを実行するのが仕事なのです。ただアメリカという国のすごいところは、もし良心的信念でボタンを押さなかったとしても、軍法会議で無罪になる可能性があるのです。命令を拒否できる権利を与えてもいるのです。」

 生徒たちは身じろぎもせずに聞いていました。

 やはり、事実でした。9月17日の読売新聞に次のような記事が載りました。

『米大統領、テロ直後にワシントン飛来の民間機撃墜を命令』

 【ワシントン支局16日】11日朝の米同時多発テロ事件の直後、ブッシュ米大統領が、米軍のパイロットに対し、ワシントン上空に飛来してくる民間機があれば撃墜するよう命令していたことが分かった。
 チェイニー副大統領が16日、米NBCテレビの番組で、「大統領の決定だ。もし航空機が退去誘導を無視した場合、最後の手段として、その航空機を排除する権限を与えられていた」と語った。民間機の撃墜命令は軍の服務規定にはなく、副大統領自身が大統領に進言したものだという。

 チェイニー副大統領は、「恐るべき決定と人は言うかもしれない」としながらも、世界貿易センターや国防総省で起きた惨事を防止するためならば、米軍は「断固として命令を実行したであろう」と述べた。(2001年9月17日) 』


 日本の若者に戦場へおもむく命令が出されています。

 アメリカ横須賀基地より出航した第7艦隊の空母キティホークの前後を挟む形で海上自衛隊の護衛艦と米艦艇が並び、周囲を自衛隊巡視船艇37隻が囲んで出航しました。上空からの写真は戦場へ向かう海軍出撃の図でした。
 そのことは日本国民の多数の支持が得られるとした小泉首相の決断でもあります。
 事実、国民多数が支持しています。とうとう政治がそこまで動き出しました。

 ただわたしは焦土と化した敗戦後の日本国民が選び取った憲法9条の道を失いたくないと思います。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争
  と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこ
  れを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権
  は、これを認めない。

 これは「侵略されても武器を持って戦うことをしない」というすさまじい宣言でした。
 このことは戦後世代の私たちこそがきちんととらえておくことだと思います。



学年だより

3学年だより    2002.2.27(卒業最終号)


どんな時代を生きようとも


 21世紀、2001年にわたしたちは最終学年を迎えました。

 ニューヨーク貿易センタービルの飛行機テロ事件を境に世界が大きく揺れています。

 燃え上がる80階へ駆け上がって救助活動を続けようとしてビルとともに崩れ落ちた300名のニューヨーク市消防隊員、
 ビルの随所に設けられていた託児所に預けられていたこどもたち、
 その後に続いたアフガニスタン爆撃、それによる多くの死傷者、
 今も続くパレスチナのたくさんの流血の衝突・・・・

 なんという時代なのだろうと思います。

 60年前、日本でも同じような時代が続いていました。

 母であり兄姉であるアジアを侵略することで自国の不況を乗り切ろうとした日本国は、多くの青壮年を戦場へ送りました。

   迫り来る戦の幻影に悩みつついつしか吾も凶暴になりぬ
   涙拭ひて逆襲し来る敵兵は髪長き広西学生軍なりき

 この短歌は、1940年代中国戦線で人を殺す戦争のさなか、狂いかける自分と向き合いながら手帳に書きつけた渡辺直巳氏の戦地詠(戦場短歌)です。20代の青年でした。

 大人達がもう二度と若者を戦争に送らないと誓った戦後でしたのに、その戒めが破られつつあります。焦土と化した敗戦後の日本国民が選び取った憲法9条にはこうあります。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 これはその制定時期、まちがいなく「侵略されても武器を持って戦うことをしない」という宣言でありました。

 現在、さまざまな憲法解釈の元、国民の多数が選んだ国会で自衛隊の戦地派遣が決定されました。

 どうしたらこの宇宙に浮かぶ水と緑の地球号からむごい殺しあいがなくなるのか、これは今の時代に責任を持つ私たち大人の責任であり、次代を担う君たち青年に課せられた大きな課題です。

 どんな時代に生きようとも、そうです、
 どんな時代に生きようとも、自分にできることは何かを見つめ、勇気と意志を持って実行していくこと、難しいことですが、私自身にも課す課題です。
 君たち次代を担う青年にも願うことです。

 インターネットをするのなら、ぜひ世界の幾国かに友人を作ってください。
 4類型新カリキュラムで学んだ情報学習はそのように役立ててください。

 みなさんの幸せを祈ります。        (広瀬)




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